突然の出来事

2004年12月16日未明、北海道小樽に住む父方の祖母が亡くなりました。 2〜3時間ほど観光をしたものの、旅行ではないし個人的なことだし…。 雑話のほうにちょろっと書く程度にするか悩んだのですが、日記というものの性質を考えて。 勿論、私のくだらない話で楽しんでいただけたらそれはもうすごく嬉しいことですが。 やはり自分にとっての記録という役割が強いわけで。 今回のことは私にとって非常に重要かつ重大なものでした。 そんなわけで、ここに特別に記したいと思います。

≪12月16日突然の訃報≫

朝8時、そろそろ仕事(パート)に行く支度を済ませなければと思ったとき。 携帯電話が鳴ったので、パネルを見れば母からでした。 何だろう、と思いつつ、頭の中で「これから仕事なのよ〜」「あらそうなの、ごねんね〜」という、いつもの会話を思い描いていました。 途中までは同じだったんです。 「北海道のおばあちゃん、亡くなったわよ」と、聞くまでは。 私(達)は埼玉に住んでいることもあって、親交が深かったとは言えません。 ここ数年は、父だけで夏に会いに行っていましたが。 それでもやはり、思うところも多くて。 無心になったり、悲しくなったり、忙しさに逃避したり、遠出の楽しみにすりかえてみたり。 仕事してれば考えずにすむかな?と思いきや、あまり手につきませんでした。 退勤後は翌朝の出発に向けて、慌しさが勝っていましたけど。

≪12月17日お通夜≫

北海道を甘く見ていました。多少の余裕を見て行った筈なんですけどね。行きは母と2人で行きました(父は昨日先に行った)。行きましたって言うか、連れて行きましたって言うか…。私も飛行機なんて20年ぶりだし、チケット取ったのだって初めてだし。でもインターネットのおかげで大概の下調べは出来るのさほど迷うこともなく。おしゃべりしながら電車に揺られ、何事もなく空港へ到着。搭乗まで時間もあるのでパスコのイートインコーナーで軽く昼食を。 そしてついに飛行機が離陸しました。

いやぁ、こんな時に不謹慎ですが、楽しかったな〜。13:30の便だったので、外が良く見えました。ちょっと雲が多かったのですが、その分「雲海」を堪能できました。海の上を飛んでいる時なんかは、海に雲の影が映ったり、雲間から漏れた光がカーテンのようになって、すっごいキレイでした。着陸の許可が中々下りなくて、少し低めの高度を維持していたときなんかは、一本の道のような、はたまた天の川のような雲があって、その光のカーテンはオーロラのようでしたよ! そのうち着陸許可が出て、北海道の大地が見えてきました。雪が積もってるのは知ってたんですけど、世界がセピア色だったのには驚きました。は〜、飛行機って楽しいですねぇ。

しかし、順調なのはここまででした。新千歳空港から目的地である小樽まで、直通で行ける電車があると言うのでそれに乗ろうとして切符を買ったそのとき。

「手稲−小樽間は高波による土砂崩れで運行を見合わせております」

なんともイヤンなアナウンスが流れてきました…。仕方ないので手稲まで行って、振替輸送のバスに揺られて、大幅に遅刻。なんでも前日は、これまでにないくらいの強風だったそうです。しかも小樽駅から母のおぼろげな記憶を頼りにバスで父の実家を目指すも、迷う。停留所をひとつ間違えただけなのですが、運悪く雪も降ってきて、なれない雪道を彷徨いました。どうにもならないので電話して迎えに来てもらいました。さすがに子供みたいに雪に大はしゃぎはしませんでしたが、積もったままのところに意気揚揚と足跡つけてきました(子供)。

着いてからは、挨拶をして宴会に紛れて、けっこう遅くまで起きていましたね。疲れてもいたので早めに寝ようと思っていたのですが、全員分の布団を敷いて、さあ寝るぞというときに、祖母のお話になって聞き入って遅くなっちゃいました。でも、何も知らなかったので聞けてよかったです。祭壇のところに棺があるわけですが、なんて言えばいいんでしょうね、そこに祖母がいるような気がしてなりませんでした。たくさんの人がいて、祖母を悼んでいて、それを喜んでくれているような気がしました。

≪12月18日告別式≫

途中雪が降ったものの、日中はいい天気でした。出棺日和だとか訳わかんないこと思ってみたり。昨夜使った客布団はレンタルだったらしく、8時に業者が取りに来ました。朝食も済み、10時からの告別式まで特にすることがありません。ちらほら人も増え始めたので、邪魔にならないところで話の輪に入っていると、叔母から「今、暇?」と声をかけられました。

自分が役に立つようなことなんてないと思っていたので頷きつつも首をかしげていると、少し離れたところから、7歳の女の子(父の妹の孫)が明子姉さんのようにこちら窺っているじゃありませんか。退屈しちゃいますよね、両親も準備やらで忙しそうにしてましたし。2階に上がっていくと6歳の妹ちゃんもいました。時間になるまでぬいぐるみを使って遊んでいたのですが、すぐに懐いてくれました。ええ、もう、告別式のとき隣同士で座っちゃうくらいで。

そして出棺の前、祖母のお顔を見ることが出来ました。皆が火葬場に言っている間、母と共に留守番を頼まれたので行くことは出来ませんでしたが。今までお見舞いも何もしていなかったので、お役に立てるならと2つ返事で。仕事の都合で遅れている兄を待つっていうのもありましたし。そんなわけで(実際はぢっと座ってるだけでしたが)無事に役目を果たしました。

皆と共に火葬場に行っていた姉妹も戻ってきました。すると、疲れたのか思うところがあったのか、擦り寄って甘えてきたですよ。いやぁ、可愛いじゃないですか。お骨上げ回向(?)のあと仕出しのお寿司が振舞われたのですが、食べ終わって歓談してると「遊んでコール」が。可愛かったので大人しく2階に拉致られることにしました。


ここでちょっと脱線して、この姉妹の話を。年齢を感じることとして、子守りをする機会が増えました。でも、ちょっと大きい子でしかも姉妹で活発で、というのは初めてだったんです。…かなり疲れました。可愛いし、楽しかったので、嫌な疲労ではなかったんですけど。ちょっとだけ遊びに参加したうちの母なんかは、「私には無理」と後でこぼしていました。おいおい、子育て経験者(笑) まあ、確かに体力勝負なところはありますよね。

初めは人形を使って遊んでたんです。それぞれ人形をもってのごっこ遊びですね。それがいつのまにか人形を投げて(マジに)「ハム太郎ごっこ」に!! いやもう、これが訳分かんなくて!(笑) 姉妹は非常に楽しそうでしたけどね。そして気がつけば「インコ軍団リーダー争い」が勃発してました。どっちがリーダーの役をやるかで、妹ちゃん、泣く。この姉妹は姉(アネ)ちゃんの権力が絶大です。妹ちゃんのほうはやや引っ込み思案というか、「やりたい!」っていうのを最初に言えないんですね。でも、実は中々頑固でみたいで、主張は曲げないところもありました。

次の遊びは、「抱っこ」でした。…遊び? 姉ちゃんが、文机に乗ってたので抱き下ろしたらば。もー、喜んじゃって気に入っちゃって、その後ずっと抱っこ抱っこでした。そしたら妹ちゃんが大人しくなっちゃって、隅に積んであった布団にのっていじけてるじゃありませんか! 理由は一応わかっていましたが「どうしたの?」と聞くと、「お姉ちゃんばっかり抱っこでずるい」と。抱っこしてなんて一度も言ってないじゃーん(苦笑)、と思いつつ、「抱っこしてあげるよ」と言うと。子供あるあるの思考ですよね、「いらないもん」と返ってきました。この時は深く考えたわけじゃないのですが、もう一回くらい誘っておこうと思って「おいで(笑顔)」って言ったんです。そしたらもう、渋い顔してたのがパァっと花が咲いたような笑顔になりましたよ! いやー、良かった、今でもこの笑顔は忘れてません。と同時に、もし「じゃあ抱っこしてあげない」とか言ってたらと思うとゾッとします。

そして、最後の遊びとなったのは「動物園ごっこ」でした。始める前に、干支の話をしていて、私が巳年だというのを使ってくれたんだと思いますが。動物園ごっこで「ヘビ」ですか!!? ちなみにワタクシ、飼育係役です(笑) 積極的にヘビになりきる姉ちゃんにつきっきりです。飼育係なのでヘビを抱きかかえて移動します。ここでも抱っこです。それに対して、あまり乗り気じゃない妹ちゃん。しばらくして「水族館ごっこがいい」と言いました。でも姉ちゃんは動物園(ていうかヘビ)がいいらしく。主導権争い勃発。

こういうとき、困りますね、どっちにも味方できないので平行線の一途です。結局、疲れと不機嫌で、妹ちゃんが「お昼寝する」と言ってしまい。かなりの時間、姉ちゃんを構っていたことになるので、今度は妹ちゃんに合わせなくてはと思い、私もお昼寝へ(夕飯前です) 本音を言うと、どたばた遊ぶのに疲れました(苦笑) すると今度は満足そうな妹ちゃんと、ヘビごっこがしたい姉ちゃん。あの手この手で誘いをかけてきます。けっこう攻撃的でした…。それでもなびかなかったので、ついには諦め、3人でお昼寝と称しゴロゴロと。

いくらもしないうちに夕飯の時間になりました。最初は(私)(姉)(妹)の順で並んでいたのですが、ちょっと目を離した隙に(妹)(私)(姉)に(笑) 食事中も、カニ(北海道だなぁ…?)の殻が割れないと苦戦する姉妹をかいがいしくお世話する私。なんかもう、ここまで懐かれると可愛くってしょうがないですね! 夕飯がすんだら姉妹一家が帰ることになりました。そしたらもう、妹ちゃん、号泣。私も昔、帰りたくなくって、目が覚めても布団から出ないでいたことがありました。泣くのは空港まで我慢しましたけどね(笑) それで、ちょっと落ち着いた妹ちゃんが私にお別れの挨拶に来るんですよ。そしたら、私を見るとまた大泣きしちゃうんです。これにはちょっとじ〜んとしました。

≪12月19日札幌観光≫

観光日和でした。 おいしい朝ごはんをいただいて、ごあいさつをしてお昼前に出発。 小樽駅から空港直通の電車で札幌に行きました。 一家4人で海側の窓側を占領(迷惑…)。 車窓からの風景に大はしゃぎな母(私は飛行機で大はしゃぎ…)。 うん、でも、すごくいい景色でした。 なるほど、高波で土砂崩れが起こるくらいの場所を運行してます。 いいのか、悪いのか…。

さて札幌に到着しました。 時間もあまりないのでテレビ塔と時計台に行っておしまいでしたが。 テレビ塔では景色とマスコットキャラクターに興奮。 景色は、360度の街並みが遠くまで見渡せてすっごく素敵でした!  マスコットの「テレビ父さん」に兄と二人で感激。 いや、あれ、可愛いって!!  写真もガラス越しでしたがけっこう撮ったし、大満足なところでした。 そして、時計台まで歩いて移動。 いやー、寒いって言うか、耳が取れそうでした。 心配してた雪は、人が通るところは全然大丈夫だったし、雪があるところも滑り止めの黒いツブツブが撒いてあったし。 ウキウキしながら時計台を目指していました。 そんな私(と兄)に、父はしきりに「行ってもたいしたことないぞ(笑)」と。 それに軽く反発しながら先陣きって進んでいたら、お約束通り通り過ぎました。 そんな私の第一印象は「うわ、ほんとに小さいし」。 でも、外観はそれっぽい雰囲気だし、中の展示物も楽しめました。 何より! 時計の仕掛けが間近で見れるんですよ!  これは一見の価値ありです!もちろんムービー撮りました!

観光を終え、空港へ向かう電車に乗らなくてはいけません。 でも、ちょっと時間が余ったので、兄は群れを離れ別行動を。 私と両親は、ちょっと路頭に迷いつつ、大きなホテルがやってるらしいカフェへ。 母が「何か名物みたいなのが食べたい」と言っていて、そのなかにソフトクリームも含まれていまして。 ちょうどそこのメニューにあったので、そのお店に決めたのですが。 んんん、美味しかったですよー。 グルメではないので何がどうとかは言えませんけど、濃厚な感じはしました。 また食べた〜い!  時間になったので、兄とも合流して空港に到着しました。 観光地で昼食がとれず空港で食べることになったのでちょっと時間が厳しい…。 家族で行動すると、良くも悪くも遠慮がないのでちょっと大変でした(苦笑)。 でも、適当に入った定食屋さんはなかなか良かったです。

それからお土産を買って飛行機に乗ったんですが。 この、お土産!  行きで既に試食して目をつけてたものがあったんですけど!  スナッフルスのチーズオムレット!!!  これ、もう、サイコー!!!  賞味期間が短いので他所へのお土産にはしませんでしたが、自分とこ用に買いました。 もうねー、ホント、おいしいんですよ!  メーカーを忘れてしまってさっき商品名で検索したら、ものすごい人気ぶりに激しく納得。 お取り寄せもしようかと思ったんですが、送料を見て眩暈が…。 払うだけの価値はあると思いますけど、ちょっとなぁ…。 あぁ、でも思い出すだけでヨダレが…(恥)  他には王道で白い恋人を買いました。

さて、帰りの飛行機はほとんど何も見えなくてちょっと退屈。 でも、羽田に近付いたときには夜景が素敵でした!

帰りの札幌に向かう電車の中から

海 海

この海が線路の下の土砂を流したんですね…。 写真は取らなかったですが、街並みもスケールが違いました。 なんか、本当に広いんですよねー(感嘆)

テレビ塔からの景色

景色 景色 景色 景色 景色 景色 景色 景色

どれも同じような絵ですけど絞り込めなくて…。 一応、ぐるっと一回りしてます。 最後の画像は「四角い!広い!」と感動したので記念に。

時計台

時計台 時計台

確かに小さいけど、雰囲気があって素敵ですよね。

時計台内部 時計台内部 時計台内部

時計台内部。 なかなか楽しかったです。

札幌駅とお昼ご飯

札幌駅 お昼ご飯

てか、駅、大きいよ!! はじめ駅に見えなかったし…。 ご飯、美味しかったです。

後書き

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 ほんの数日でしたがいろいろなことがありました。 いろいろな気持ちが湧き起こりました。 特に記憶力のない私のこと、このことも遠い記憶になってしまうかもしれません。 そのときは、ここを振り返って、褪せた色がよみがえってくることを願います。

記憶の中で生きる、ってアリだと思います。 一人一人が主観で生きているんだし。 誰かに迷惑かけるわけでもないし。

思い出は大切にしたいですね。